2002年6月14日いよいよラベンダー農園のオープンです。農園準備から3年あまりではあたが、「構想」からは実に15年の月日が流れていました。
万感あいきわまって…となるところでしょうが、現実は、開園準備に追われ、疲れ果てそれ所では有りません。
「一人村興し」の限界なのでしょうか、それまでの「自信」と「から元気」は何所か遠くへ行き、「不安」で目がぎらついていました。
やはり何と言っても「臨時駐車場」の確保、最後まで「難航」しました。許可申請提出期限前日になって地権者の一人が「俺やっぱりかさね〜」とは…。
それでも何とか合計で約60台分の「駐車場」の確保に成功しました。農園案内用の「のぼり」1つたてるのにも「許可」が必要なのをはじめて知りました。
国道は国土交通省、県道は宮城県、町道は大河原町の許可を受けなければならないそうです。
しかもその審査に1ヶ月ほどかかるとの事、今回は「開園」間直に知らされたため間に合わず、沿線の田んぼの所有者に急きょお願いしてまわり、何とか事無きを得たと言う所ですが、万事についてこんな調子の準備風景でした。
初日の入園者数21名、翌日35名、翌々日63名。あれ〜、おかしい。入園者数が少なすぎます。それにマスコミの反応が全くと言っていいほどありません。ラベンダーにかかわって15年ほどの経験からすると、「こんなはずではない」はず。計画の10分の1。「明日は大丈夫だろう」とたかをくくっては見たものの、次の日は15名、翌日は0名、翌々日は9名。開園1週間前に出した4000円の新聞広告の反応はすごかったのに…「無料入園券差し上げます」の4行広告に朝からTELとFAXが鳴り止まなかった…。それに新聞、テレビ、ラジオ、雑誌のマスコミ各社に送ったDMの効果は全くありませんでした。これは困った。農園の宣伝方法は「出来るだけお金を使わない」に徹し、マスコミからの「取材」を当然あてにしていたので、「宣伝広告費」は特に予算のなかに組みこんではいなかったのです。何所でも良いから「取材」に来てほしいと天を仰ぎました。無常にも「冷たい雨」が降り続いているばかりです。こんな日が6月いっぱい続いていました。
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