ラベンダーガーデン物語(番外編)

「飛騨古川町に愛を込めて」

2010年 飛騨古川農文化村物語

2000年12月10日記 文責 遠藤慎一
 11月12日、飛騨古川駅に降り立った。あれから10年の月日が流れていた。さすが飛騨は寒い、これから本格的な冬が訪れ様としている。  駅前は10年前と何ら変わりが無いように見える、タイムスリップしたかのようだ。国内の景気は、ここ10年の間、やや上向いたと政府は盛んに宣伝しているが、庶民レベルの生活は、一向にその気配さえない。あのバブルが崩壊してから実に20年、国内の景気は、底値安定したままだった。

 10月3日夕方、古川町のI氏から突然電話があった。I氏のことはほとんど忘れかけていたので、しばらく曖昧な返事を繰り返していると、だんだん記憶が甦ってきた。そうだ10年前のあのときの、農業、農村振興会議会長のI氏だった。I氏は、早口の飛騨弁で一方的に話続けた。曖昧な返事をした後だったので、今更聞き返すわけにもいかず、理解できたのは、後半の半分ほど、11月12日に飛騨古川に来てほしいとの事。私は勢いに押され「はい」と言ってしまった。

 若い女性5〜6人を乗せたワゴン車が私の前に止まった。にぎやかな話声を残して駅舎に消えていった。相変わらず、街を巡る旅行者が多いのかな〜と思いながら、視線で追っていたその時、後ろから私の名前を呼ぶ大きな声が響いた。その声の主がI氏であると気付くには少し時間があった。10年ぶりの再開であった。I氏は、電話のときと同じように、早口の飛騨弁で話し掛けてきた。やはり理解できるのは半分ぐらいだった。今日、I氏の仲間が私の来るのを楽しみに待っている事、と今送ってきた女性たちは、信包地区の農村を散策するために、名古屋から2泊3日で来ていた事などが判かった。

助手席に乗り込むと車は直ぐ走り出した。
 「あれから信包地区も変わりましたよ、大勢の若い人たちが来るようになったし、地元の若者が残るようなって来た。ま〜数はまだまだ少ないけどね。」
当初面食らっていた早口の飛騨弁もすこし慣れ、ある程度聞き取れるようになっていた。
駅から信包地区まで確か車で10分程度だったと思う。車窓を流れる風景は、以前と変わり無いように思える。道端の所々に農産物の無人販売所が点在していた。
 「ラベンダーとブルーベリーはその後元気ですか?」
 「それよ、今日来てもらったのは。当時はあんなもの…あっ悪い悪い…で信包地区が元気になるなんて、誰も本気で信じていなかったもんな〜。勿論俺もそうだったよ。」
 「……」
 「でも今は違うよ。仲間は年寄りから若者まで『俺たちの村は俺たちの手で作ろう』って目を輝かしているよ。あれがきっかけでこれほど変わるなんて,想像できなかったもんな〜。」

車は国道41号線を左折し宮川にかかる橋を渡った。
 「ほらあの家。…」
農家の住宅に挟まれるようにした、古い飛騨の建物(民家風)の前に若い女性3〜4人さも楽しげにたたずんでいた。
 「あれはアトリエショップと言うんだそうだ。俺たち良くわかんないけどね。」
 「何なんですか?」
 「名古屋に住んでいた女性3人がここに移り住んで、パッチワークとか、草木染をやっていて、それをあの店で売っているらしいんだ。俺には良くわかんないけど、あれで結構商売になっているみたいだよ。その中の一人が、先日地区の若者とめでたくゴールイン。いや〜盛り上がったのなんのって、気が付いたら朝まで宴会だったよ。」
 「朝までですか」
 「そう朝まで。ああゆう店はこの上に10軒程できて、普段の日でも結構お客さんが歩いているんだよ。」
 「それはいいですね〜」
 「役所も観光客用の回遊バスを出してくれてね、あの当時とはえらい違いで、ここにも目を向けてくれてるって訳よ。」

何時しか車は渋滞にはまってしまい、一向に動かなくなってしまった。
 「この先で工事でもしてるんですか?それにしても混でいますね〜?」
 「違う違う、『飛騨高原大根祭り』が今日と明日の2日間あって、それで混んでいるんだよ。2町歩の減反田を大根畑にしてね、肥料袋に詰め放題で千円。遠くは名古屋、富山からもお客さんが来るようになった。昨年は2日間で1万人がこの祭りに来てくれた。嬉しいね〜。大根の売上だけで1千万円。米だと2百4十万円がいい所で、えらい違いだよね〜。こうゆう農業もあるって事、やってみなけりゃ判らんよな〜。」
車は渋滞の道を右折して細い露地に入っていった。
 「着くのに時間がかかりそうだから、近道するよ。」
地域の生活道なのだろうか、車一台がやっと通れるほどの狭い道だった。驚いた事にこの狭い露地にも数人のグループの観光客らしい人たちが散策していた。
 「ここにも何かあるんですか?」
 「あっ、ここも例のアトリエショップが3軒ほどあって、それで…」
 「そうですか、ここは普通の農家のようですが。」
 「そう、農家の空き家。そのまま若い人たちが改造して店にして使っているわけ、この町には、うでのいい大工や左官などの職人が多いからね〜。若い人のセンスで今風に改造すると、いいもんだね〜。洒落てるってのかい、農家の村落にうまくとけこんでいるよね〜。」
 「いや〜、実にいいもんですね〜。うん。ん。」
 「これもあれがきっかけよ、都会の若い人たちが来るようになってから、ああゆう人たちがここに住み着くようになったのさ。ここのどこが良いんだろうかね〜。自然が素晴らしいってさ。俺たちはその自然で散々苦労したってのに、今の若い人たち何考えてんだか良くわかんないね〜。」
と言いながら楽しそうに笑った。小さな集落を抜けると、見晴らしの良いところに出てきた。田んぼと畑が続いている。前方に車の山と人だかりが見えてきた。
 「さあ着いたよ。ここが大根祭りの会場。ただの畑さ。昔田んぼだったところよ、何も無いだろう?。あのテントだって祭りのときだけ、お金なんかかかってないよ。ここでの祭りは他もそう、お金をかけないでやるのが主義なんだよ。」
 「かけるのは地元のやる気だけですか?」
 「その通り、地元のやる気だけ。地元だけで出来る事をやるんだから当たり前だよね。今まで何も出来なかったのは、役所が悪いからと思っていた。しかしそれは違うって事に皆が気付いたからね。今じゃ俺たち役所なんか当てにしてないし、お国も当てにしてないよ。
それでもこれだけの事やれるって事知ったし、自信になったよ。」

車を農道の路肩に停め、外に出た。風が少しつめたい。目の前の大根畑は、家族連れや年寄りで賑わっていた。驚いた事に、ほとんどの人が長靴を履いている。単なる観光客でない事が一目で判った。思わず「よ〜し」と頷いてしまった。
テントの中では、露地野菜と加工品が売られているようだ。こちらも大変な賑わいで、お客の声に呼びこみの声がかき消されていた。
 「この『飛騨古代米酒』はここ3年ぐらいで有名になってね〜。今では新潟の『越しの寒梅』と同じように、『まぼろしの酒』なんて云われてんのよ。あとで仲間と一緒に飲みましょう。」
 「まぼろしの酒ですか」
 「そう『まぼろしの酒』。農業と商工業の合作の酒なんだよ。」
 「合作の酒?ですか。」
 「そう合作の酒。異業種交流と言うんですか、冬期間、仲間の一人が地元の酒蔵で働いていましてね、それが縁で出来たわけ。これも役所とは関係が無い広がりだね〜。」  「凄いですね〜どんどん広がって行くみたいですね〜」
 「そう俺たちも驚いているのよ。今までは何をやっても駄目、駄目。最悪、悪循環。どこの農村もそうだけどここもそうだった。でも一旦歯車がかみ合い出したら、あ〜ら不思議ってなもんよ。何もしないのにどんどん広がって行くわけ。怖いほどにね。人も情報もどんどん、どんどん。あっ、お金かい。まあまあだね、これは限が無いからね〜。それより『誇り』を持って生きていけるのが最高だよね〜。」
 「その通りですね。」
 「古代米を使った品物…他にもあったはずだけど…どこで売っていたかな〜。お菓子とか麺類があった筈なのだが…。まっいいか、こう人が多いんでは探すのが大変だ。あとで持ってくるから見て下さい。」
 「古代米と言うのは?」
 「今の米のルーツみたいなもので、炊くと赤飯みたいに色がつく米だよ。このちょっと上の田んぼで約1町歩作っている。減反作物になるかどうかでもめた事もあったけどね。あそこは確か二人で経営してるのかな。なんでも来年は農業法人にすると言う話だよ。春から秋の刈り入れまで、毎月一回、『飛騨古代米小学校』って名のイベントを有料でやっていてね。会員が100人超したなんていっていたな〜。」
 「年間会員ですか」
 「そう、年会費が1万円だからそれだけで収入が100万円。そのほかに古代米の販売、加工品の販売があるわけだから…。作物を農協に販売していた時代とはえらい違いだよね〜。農業の切り口を少し変えるだけで、ここの地区がこれだけ変わるとは、当時だれも想像すら出来なかったからね〜。」
 「農業の切り口ですか?」
 「そう農業の切り口。農地で作物を栽培する事は何ら変わりが無いのだが、ラベンダーの丘にしろ、ブルーベリー畑にしろ消費者と交流する事も目的にしたら、途端にご覧の通りさ。この有様ですよ。しかも農村自らが自力で『村おこし』をすると言うおまけ付きでね。」
 「いや〜、話を伺っていると、だんだん感動してきました。」
 「今じゃ〜、岐阜県も『古川町を見習え』ってなもんであっちこっちと引っ張りだこさ。かあちゃんからは『あんた何時仕事すんの』って尻を叩かれっぱなしよ。なんだかんだと言っても『嬉ししい悲鳴』かな〜。…俺も年取ったからな〜。」
 「いやいやまだまだ…」
 「そう言えば先月宮城から視察団が来ていたよ」
 「宮城県からですか?」
 「そうあなたのお膝元から。とにかくやれる事からやってみたらと話したんだけども、その後どうしたのかな〜。知ってる?」
 「いや〜すいません。判りません。視察も結構多いんでしょうね」
 「週に3〜4組ぐらいかな〜。季節によっても違うけど。こんな山奥まで皆さん良く来てくれるよ。正直嬉しいね。」
I氏の満足感あふれる笑みは見ていてとても気持ちが良かった。
 「以前農業新聞にここ信包地区が紹介されていて、確か『飛騨農文化村』と云うタイトルが付いていたと思ったのですが、『農文化村』を意識して役所と一体になって『村づくり』をされたという事なんですか?」
 「あっ、それね特に『農文化』を意識した事は無いね。結果的にそうなっているかもしれないけど、ここでの事業の一つ一つ(ラベンダー、ブルーベリー、古代米など)は、個人経営か数人のグループ経営。それに例のアトリエショップも個人かグループ経営。それらがこの地区に混在しているわけ。」
 「そうですか。それではこの統一感と言いますか、まとまりが付かないんではないですか?。そのところを役所がまとめているとか…」
 「それが違うんだな〜。役所は何もしてないし、俺たちも何もしてない。ここにあるのはゆるやかな『連帯感』だけ。別にテーマパークにしようって話ではないからね。自然の農村を作ろうよって事だから、俺たちもそれで良いと思っているよ。」
 「そうですかなかなか出来ない事ですよね。外から見ていると景観も一体感があるし、考え方も一体感を感じます。」
「俺たちも不思議だと思っているよ、地元の人間はここが好きだし、「誇り」を持っている。昔は考えられない事だよね。「陸の孤島」なんて自嘲したりしてさ。外から信包に移り住んでいる人たちも、ここが好きだから来たわけで、観光客も今の信包が好きだからわざわざ遠くから来てくれる。こんな事が信包地区の統一感として自然に出来てきたのかな〜なんて考えているよ。」
 「スバラシイ。理想的です。益々感動しました。」
 「そろそろ時間だから行こうか。『季古里』で仲間がしびれを切らしている頃だ。そこでまた積もる話をゆっくりとやろうや、…朝まで。」
 「えっ、朝までです……かはい。」
※この物語は10年後の飛騨古川町を想像したフィクションです。