この物語は、現在進行形の「地域振興」で、その「ライブ情報」です。
「ラベンダーガーデン」はその中核の事業で、結果的に私(遠藤)個人でやる事になってしまいました。これから続く「物語」の方向や結果は、私にもわからないが、様々な魅力ある「ドラマ」が生まれる事を信じて続けることにした。
「これまでの経緯」
1986年、大河原町の青年有志(当時私も青年?)7名ではじめた「町興し」。様々な議論の中から、象徴に「ラベンダー」を選んだ。事業コンセプトは「魅力ある農文化で地域振興を」である。
「事業計画」をまとめ、行政に提出し議論を重ねたが、一向に埒があかない。空しく時間だけが過ぎた。重暗い状況の中で私が選択したのは、「ラベンダーの苗1万株」を町に寄付する事だった。この選択で、夫婦離別の危機を招いてしまったのだが。熱い会話を重ね、何とか切り抜ける事が出来た。
今日この町のパブリックスペースに約4万株のラベンダーが植えられ管理されている基礎は、このようにして出来た。
しかし町興しグループは存続に最悪の事態を迎えていた。各自激しい議論に疲れきっていた。「町を良くしたい」との純粋な気持ちが、「余計な事をするな」と足を引っ張る人たちに潰されていった。行政内部では特に激しかったようだ。
1人減りまた1人と、結果的に私一人になってしまったのである。「馬鹿」「きちがい」「売名行為」「町をかき回すとんでもない野郎」などは私の代名詞になってしまった。陰口がいつしか表口になっていた。足を引っ張っている人は、自分が足を引っ張っているとは自覚しておらず、また陰口を言っている人は自分が陰口を言っている事を自覚していない。人間の怖い部分を改めて気付かされた。
こんな中、続ける事が出来たのは、数少ない理解者と妻の力添えがあったればこそ。感謝の一語に尽きる。
今後も山あり谷ありと容易に想像がつく。「ヘルプ」カードを出すかもしれない。その時は是非応援団になってほしい。応援の一言が何よりも力になります。
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