●イベント情報(98.11)

収穫感謝際、フランス鴨顛末記(11/22)

11月中旬:成長21羽の中から10羽を物色
●川崎町の大森クンから譲り受けた一つがいのフランス鴨が心地よい自然環境の中で、時にはキツネやカラス、野良猫の脅威にさらされながらもどんどんその数を増やし、古株の大ボス2羽と3羽のメスを中心に、今春生まれた雄3羽、夏に孵化した13羽、それに秋に生まれた6羽といった具合に大所帯になってしまった。このままでは冬の世話が大変になる。決断の結果成鳥の雄10羽をつぶすことになった。10羽をどう選ぶのか?大ボスを1羽残し、春に生まれた3羽の雄から次期ボスを1羽残しておこうと計画を練ったのだが…

豊かな大地ですくすくと育ったフランス鴨

16日:闇夜の捕り物帳
●亘理にある笹雄商店に屠殺?を頼んだところ、22日ごろ食べるのなら17日に持ってくればということだったので、当日朝、明るいところでは捕まえられないので前日の夕方、エサをあげるときを狙って捕まえようということになった。
夕刻、陽がどっぶり暮れたころ、手伝いにやってきた遠藤氏と後藤さんの手を借りて、エサでおびき寄せ小屋に追い込もうとするのだが、なかなか目当ての鴨が中に入ってくれない。
仕方なく計画を変更、とにかく雄であればどれでもいいからと何とか9羽捕まえてズタ袋に1羽づつ押し込み紐で結ぶ。後は翌朝これを車に積むだけ。
17日:いざ吉田浜へ
●朝9時、10時頃目的地に着く計算で準備にとりかかる。9つの袋を乗用車に積み込んでいざ車に乗り込む。"臭―い!"。あの独特の鳥臭さが鼻を突く。この状態で1時間も車を運転することを考えると耐えがたい。窓を全開にしていざ目指す亘理・吉田浜へ。大河原、角田を抜けて意外に早く着く。暴れる鴨を袋から出して一つのケージに3羽づつ押し込み、ヨロシク!となったのだが…。そこのオバさん曰く"鴨はニワトリと違って肛門が小さくて手が入らないから、内蔵が抜きにくい、自分でとれ"ときた。帰ってからも電話で何度かお願いしたのだが…。
19日:えっ!自分で内蔵を!
●丸辰安斎氏に相談して19日に受け取り、一緒に精肉しようという事になったのが、安斎氏に急な用事が入ってそれもできなくなってしまった。早めに内蔵を抜かないと肉に臭いが着いてしまいまずくなるという。躊躇してはいられない。あとは自分がやるしかない。
20日:これが噂に聞いたフランス鴨肉
●20日お昼頃、覚悟をきめて再び吉田浜へ。イヤ〜な気持ちで玄関をくぐる。"ハーイ、できてますよ"若奥さん。厨房のようなところへ通される。大きな冷蔵庫の扉が開けられると、そこには透明のビニール袋に入った胸肉、モモ肉、鳥ガラときれいに分類された肉屋の店先でみるような鳥肉があった。
"あっ、ちゃんとやってくれたんだ"思わずホッ!とする私であった。
22日:鴨鍋が、ポトフが。
●お昼から始まる"収穫祭"に間に合うように仕込みが始まった。ポトフ約50人前、和風鴨鍋約50人前。ポトフを受け持つコック長は川崎町の木村雅雄氏。カブ、キャベツなどの野菜が入るのだが、なんとも野菜の高いこと。6千円くらいの野菜が鴨肉とともに鍋に沈んだ。水からゆっくりと煮込み、丁寧にアクを除くので鍋から離れられない。一方、鴨鍋を受け持つのは安斎氏。ゴボウをベースにいろいろな野菜が鍋に入った。大きな肉を適当な大きさに切り分ける際、ササミが出てきた。そこは調理者の特権である。ショウガをおろし、刺身で味わう。この1週間屠殺?に関与してきた私としては、さすがにあまり気持ち良くそれを食べられる神経を持ち合わせてはいなかった。
約60人が参加した感謝祭。ひとりが2杯、3杯、それでも夕食には鴨鍋がキリタンポやうどんの汁に、ポトフはシチューに変貌しお腹を満たしてくれた。その味の良いこと。
ゲスト
●渡辺幹男グループのボサノヴァの演奏もお腹を心地よく熟してくれた。

渡辺幹男:ボサノヴァ演奏

以上、ここまでもまだ紹介しきれない色々な逸話があるのだが紙面の都合で省略する。飲んだ席での話だが"今度からは全て自分たちでやろう(シメよう)!
"ハイ!やりましょう!"イヤ、やってください。